専門学校時代
こんにちは😃
今日は専門学校時代のつちまるについて書いていこうとおもいます✍️
専門学校に入学して姉は美容師を目指す学科へ
私はトータルビューティを学べる学科に入りました😊
入学してすぐに母が体調を崩して入院することになりました。
恋愛は高校3年生の時付き合っていた彼と別れて同じ専門学校の姉と同じ学科の人と付き合いました😂
別れた原因は高校卒業するとき父が倒れた事もあり気持ちがかなり不安定で喧嘩ばかりしていたので距離をおこうと言われて、その間私は違う人と遊んでいたことが原因で別れることになりました。
その頃のあたしは誰でもいいからそばにいて安心させて欲しかったんですよね。最低ですよね。
母は最初県内の病院に入院していたのですが、
思っている以上に体調が悪く、都内の病院に行くことになり、父を姉と二人で世話をしていたのですが
祖父が父を施設に入れることにしたんです。
正直ありがたかったと思います。
専門学校に行くのに電車で片道1時間ちょっと
往復で2時間ちょっと。
朝、夜ごはんを作って
お弁当作ってって。睡眠時間もかなり少なくて。
兄は都内の大学へ進学し都内で就職していたので姉と私がみるしかなかったんです。
専門学校では本当に楽しくて、沢山コンテストに出させてもらって、舞台のメイクのお手伝いしたり本当に充実してました。
そんな感じで1年あっとゆーまに過ぎました。
2年生になり辛い現実を突きつけられました。
母の病気は悪性の肝硬変で、ドナーを待っていたのですがなかなか見つからず
その段階で余命1年を宣告されました。
母は知らなかったと思います。ですがきっと気付いていたのかなって思います。
都内にいても、ドナーは見つからなかったので県内に帰ってきて大学病院に転院しました。
専門学校が終わったらそのまま母の入院している病院に顔を見に行くという生活になりました。
何回も肝臓などに水が溜まってそれを大きな穴を開けて出しての手術を毎月のようにしていたので身体は弱り、かなり細くなって、顔はかなり黄色くなって、目も白目が黄色くなってました。
どんどん弱る母の姿に姉と私は悲しみと苛立ちが生じてよく喧嘩してました。
そんな時に就活が始まりました。
ヘアメイクで作品を作ることが好きだったので都内でヘアメイクの仕事につきたかったんですが、
家族との時間が大切だと思い、県内での就職にしたんです。
行きたかった化粧品メーカーに内定をもらい
母に話したら本当に喜んでくれました。
母がその化粧品使いたいなといってくれたので学校終わりに百貨店に行ってその化粧水のコフレを買ってプレゼントしました😊
母と過ごせるのもあと少し、何をしてあげられるんだろう。
そう思いながら母に会いに行ってました。、
会いに行く事も辛くなった私は専門学校のコンテストなどに逃げて会う頻度を自ら減らしてました。
そんな私のことを母は応援してくれました。
姉は毎回母と喧嘩をしてました。
もういつ亡くなるかわからなかったので、大学病院から実家から一番近い病院に転院しました。
2年生のハロウィンの時期に母の容態が急に変わり、今日明日が山です。。いつ亡くなるかわからないと医者に言われたんです。
その日姉と私で母の病室で泊まりました。
もう話すことも起き上がることすらできませんでした。
夜中の2.3時ですかね
急に母が上半身を起こして叫んだんです。
行きたくない、連れていかないでって。
私は霊とか悪魔とか割と信じている方なので、
怖くなりました。笑
姉と手を握って泣きながら大丈夫だよって何度も何度も母をさすりながら言いました。
翌朝まで母はもってくれて、一度家に荷物を置きに帰ったとき
病院から電話がかかってきてもう危ないからすぐきてくれって。
病院に着いたら母は口から血を吐いていて、看護師さんがその血で窒息するかもしれないと吸い取ってくれてたんです。
その時医者に別室に連れて行かれて、このまま楽にしてあげるか、それでもまだ薬を入れるかって言われたんです。
薬を入れたとしても数時間しかもたないと言われていたんです。
私以外の家族はみんなもう可愛そうだから楽にしてあげてほしいと。
私は嫌でした。
ほんの数時間でも長く生きていて欲しかったんです。
そんな話をしていると、
母は亡くなりました。
最後は家族みんなで母とお別れが言えて良かったです。
本当に愛されて育ってないと小さい頃は思っていました。
私にだけ冷たい
私にだけ厳しいって。
でも、それは母もきっとどう私に接していいのかわからなかったからだと思いました。
一緒に過ごせなかった時間。
その分の教育をしてくれてたのかなって。
なんだかんだで大好きな母でした。
母が亡くなって専門学校も10日ほど休んで、
気持ちは辛いままでしたが残り少ない専門学校生活を乗り切りました。
ですが、姉はずっと後悔していました。
実は母が亡くなる前喧嘩をしたんです。
彼氏との記念日があった姉は母がどうしても会いに来て欲しいって言った日に行けないと言って喧嘩になったと話してました。
そのどうしてもきて欲しいといった日に母は話せなくなって、起き上がらなくなったんです。
最後に姉に伝えたいことがあったのかもしれません。
姉はそれが心残りと言っていたんです。
今は1人目の子供が生まれた時母が夢に出てきて可愛い子だねって姉に言っていたそうです。
そこで仲直りができたようでよかったです☺️
こんな感じで専門学校時代でした😂
壮絶ですよね笑
高校生の時に父が倒れて20歳の時に母が亡くなってって。
まだ祖父が生きていてくれたから暮らしてこれたんでよかったです😂
本当に素敵な母でした😊
今思えばわりと自慢の母です!笑
高校生の頃なんて彼氏を家に連れてきて
彼と話したいって言っていきなり非難はしなさいよー!ってゴム渡してくるんですからね笑
ぶっ飛んでますよ笑
部活の時も大会やイベントにはいつもきて写真撮ってくれてました😊
皆さんがもしお母さん、お父さんがまだいらっしゃるなら大切にしてあげて欲しいです☺️
1日1日を大切に😊
私の父はまだ生きています。
右半身うごきません。
上手く話すことができませんが。
母がいなくなってからぶっ飛び過ぎていて、
父のことを許せないんです😂
このことについては次の時に書きますね笑